名古屋地方裁判所 平成4年(行ウ)7号 判決 1993年11月19日
名古屋市名東区香流一丁目一四一七番地
ユニーブル第二猪子石四〇一号
原告
松浦邦夫
右訴訟代理人弁護士
北村利弥
同右
戸田喬康
同右
柘植直也
同右
竹下重人
同右
渥美裕資
名古屋市千種区振甫町三丁目三二番地
被告
千種税務署長 獺越隆治
右指定代理人
大圖玲子
同右
益田祥三
同右
鈴木幸雄
同右
吉野満
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は、原告の負担とする。
事実及び理由
第一申立て
被告が、原告の昭和六二年分、昭和六三年分及び平成元年分の所得税につき、平成二年一二月二〇日付けでした更正処分のうち、昭和六二年分につき総所得金額三六二万五二七八円、税額二四万四七〇〇円を超える部分、昭和六三年分につき総所得金額八〇〇万八九三二円、税額一〇三万二六〇〇円を超える部分及び平成元年分につき総所得金額九一九万八四五二円、税額一三二万〇六〇〇円を超える部分を、いずれも取り消す。
第二事案の概要
一 争いのない事実等
1(一) 原告は、「アド920」の屋号で、平成元年九月二九日まで、看板等の製作・店舗・住宅の改装の請負等を内容とする事業を営んでおり、同月三〇日、原告の右事業は、新たに設立された有限会社アド・キュウ・ニィ・マルに継承された。
(二) 原告は、青色申告の承認を受けており、原告の妻淑子は、青色事業専従者であった。
(三) 右事業の従業員は、原告の妻淑子のみであり、忙しい時期にアルバイトとして堀正樹を雇っていた。
淑子は、原則として月曜から土曜まで毎日ほぼ午前九時三〇分から午後五時までアド920の事務所で執務し、接客、郵便物の受領、電話番、工事用材料の受領、売掛・買掛の記帳、現金出納事務とその記帳等の事務を行っていた(甲二、乙六ないし八、原告本人)。
2 本件に関する課税処分の経緯は、別表記載のとおりである。
3 原告は、昭和六二年、昭和六三年及び平成元年(以下「本件各年」という。)にそれぞれ一回ずつ、妻淑子及び子二人の合計四人で、次のとおりの旅行(以下「本件各旅行」という。)を実施し、別紙1ないし3の「1 慰安旅行に関する支出明細」の項に記載のとおり支出をした。
(一) 昭和六二年七月三〇日から八月二日まで長野県軽井沢方面(三泊四日)
(二) 昭和六三年八月九日から同月一一日まで長野県軽井沢方面(二泊三日)
(三) 平成元年八月一四日から同月一六日まで長野県軽井沢方面(二泊三日)
なお、本件各旅行の時期は、「アド920」が休業しても顧客にあまり迷惑がかからず、かつ、原告の長女(昭和五〇年生)及び二女(昭和五二年生)も一緒に行ける時期として、盆休み又はそれに近い時期を選んだ(甲二、原告本人)。
4 原告は、本件各年の支出のうち、本件各旅行に同行した原告の子二人に関する支出額相当分を除いた支出金額(金額及び計算は別紙1ないし3の「2 必要経費に計上する金額の計算」の項にそれぞれ記載のとおり。以下「本件各旅行費用」という。)を右各年分の事業所得計算上の必要経費(いわゆる福利厚生費)に計上して右各年分の所得計算をし、確定申告をした。
5 これに対し、被告は、平成二年一二月二〇日付けで、本件各旅行費用は事業所得計算上の必要経費ではなく家事上の経費であるとして、原告の本件各年分の所得税につき、更正した(以下「本件各更正」という。)。
二 争点
本件各旅行費用は、原告の事業所得金額計算上の必要経費にあたるか。
1 原告
(一) 事業主が主宰して行う事業所としての慰安旅行に関する支出は、一般に「福利厚生費」と呼ばれ、所得税法(以下「法」という。)三七条一項にいう「その年における販売費、一般管理費その他これらの所得を生ずべき業務について生じた費用の額」の一部を構成する。そして、「業務について生じた費用」であるか否かは、社会通念上一般的に行われる範囲内のものであるかどうかという基準に従って判断すべきであり、「事業の遂行上必要であるか」どうかを問題とすべきではない。
(二) 本件各旅行は、日頃から原告の業務に専従して苦労している妻淑子の心身を慰労し、その勤労意思を高揚するためにされたものであり、その費用は、事業主である原告が主宰したレクリェーションの費用であって、別の機会に実施した家族旅行に関する支出(家事費用)とは明確に区別されている。また、その金額も、原告の事業規模、総収入に照らして「社会通念上一般的に行われている」範囲内にとどまるレクリェーション行事の費用の支出である。
したがって、本件各旅行費用は、いわゆる「福利厚生費」として、原告の「所得を生ずべき業務について生じた費用」に当たる。
(三) 所得税基本通達三六-三〇は、「使用者が役員又は使用人のレクリェーションのために社会通念上一般的に行われていると認められる会食、旅行、演芸会、運動会等の行事の費用を負担することにより、これらの行事に参加した役員又は使用人が受ける経済的利益については、……課税しなくて差し支えない。」としており、社会通念上一般的に行われていると認められるレクリェーションのための支出であれば、当然に必要経費に該当することを明らかにしている。慰安のためのレクリェーションが「事業遂行上必要なものであるかどうか」については、問題とされていないのである。
本件各旅行費用が必要経費に当たらないとすると、零細事業所である原告の場合は、事業所として実施した慰安旅行の支出は常に必要経費とはない得ないこととなり、こうした取扱いは、レクリェーション行事に関する必要経費の計上において、青色事業専従者一名しかいない原告のような零細事業者を他の大きい事業所よりも不利益に扱うものであり、法の下の平等の原則に反する。また、従業員が家族だけで構成されている法人の場合と均衡を失し、法の下の平等の原則に反する。
(四) なお、仮に、「事業の遂行上必要である」ことが要件であるとしても、軽井沢の自然や美術館での美術鑑賞がデザインに関するアイデアのヒントや知識蓄積のために役立つ可能性は大きく、本件各旅行が原告の事業の遂行と無関係であるとは到底いえない。
(五) したがって、本件各旅行費用が必要経費に当たらないとしてされた本件各更正は違法であり、取り消されるべきである。
2 被告
(一) 一般に、従業員の慰安等のために支出するレクリェーション費用は、それが社会通念上一般に行われており、業務の遂行上必要なものであれば、事業所得の計算上必要経費となるが、事業主が家族の趣味・娯楽のために支出する費用は所得の処分としての家事上の経費であることからすれば、業務の遂行上必要なものか否かの判断は、単に事業主の主観的判断のみでなく、通常必要なものとして客観的に必要経費として認識できるものでなければならない。
したがって、旅行費用が必要経費に該当するか否かは、それが事業に関連するという事業主の主観的判断のみによるのではなく、その旅行の企画立案、旅行の目的、規模、行程、従業員等の参加割合等を総合的に検討して、業務の遂行上必要なものかどうかを客観的に判断すべきである。
(二) 本件各旅行は、いずれも原告が妻淑子及び二人の子と共に出かけたものであり、これらは、子の夏休み中に行われた旅行で、旅行目的、規模、行程、参加者等から、サラリーマン家庭が行う通常の家族旅行と何ら異なる点がなく、原告の事業遂行上必要な旅行であったものと客観的に認識できるものではない。
(三) 原告の指摘する所得税基本通達三六-三〇は、法三六条二項が金銭以外のものによる受益者の収入の評価について規定していることを受けて定められた取扱いであり、右通達により、レクリェーション行事に参加した役員又は使用人の受けた利益が、同項の経済的利益として当該役員又は使用人の収入に加算されないとされていることをもって、使用者が負担した費用が当然に使用者の必要経費に該当することとなるものではない。課税庁は、レクリェーション費用の取扱いに関して事業主の出捐が事業の遂行上必要なものであると客観的に認められるか否かを判断し、その上で、それが社会通念上一般的に行われていると認められるか否かについて判断しているものであり、本件の判断について、何らの不公平も存在しない。
(四) 以上のとおり、本件各旅行費用が必要経費に当たらないとした本件各更正は、いずれも適法である。
第三争点に対する当裁判所の判断
一 法三七条一項は、「その年分の不動産所得の金額、事業所得の金額又は雑所得の金額……の計算上必要経費に算入すべき金額は、別段の定めがあるものを除き、これらの所得の総収入金額に係る売上原価その他当該総収入金額を得るため直接に要した費用の額及びその年における販売費、一般管理費その他これらの所得を生ずべき業務について生じた費用……の額とする」と規定しているが、同項の「その他これらの所得を生ずべき業務について生じた費用」とは、「業務について生じた費用」という規定の文言及びこれが「必要経費に算入すべき金額」であるとされていることからして、業務の遂行上必要なものでなければならないことは明らかである。また、事業所得に関しては、ある支出が業務の遂行上必要なものであったか否かは、事業主の主観的意図のみにより決すべきものではなく、客観的に決すべきものである。したがって、従業員の慰安のためとして行われた旅行に関する費用が右の意味での必要経費に当たるか否かは、当該旅行の目的、規模、行程、参加者等を考慮した上、社会通念に従い、業務の遂行上必要か否かにより決するのが相当である。
そこで、右のような観点から本件について見るに、本件各旅行は、前記のように原告がその妻、未成年の子二人の合計四人で子の夏休み期間中に観光地を訪れたというものであるから、原告において青色事業専従者である妻を慰安するという趣旨で企画実行したものであったとしても、客観的には、生計を一にする夫婦、親子がその良好な家族関係を維持発展すべく企画実行したものであり、事業主である原告が、従業員の勤労意欲を高め、もって自己の事業に資するためといった、経済的合理性に基づき、使用者としての立場から主催したものとはいえない。換言すれば、本件各旅行は、その内容からして、社会通念上使用者が使用人の慰安旅行として一般的に行っていると認められる旅行ではなく、サラリーマンの家族が行ういわゆる家族旅行と異なるものではない。したがって、その費用をもって、業務の遂行上必要なものであったということはできない。
そうすると、本件各旅行費用は、「その他これらの所得を生ずべき業務について生じた費用」には該当しないというべきである。
なお、原告は旅行先で行った美術館での美術鑑賞等が原告の業務に役立つものである旨主張するが、本件各旅行は、美術鑑賞等により原告の事業に必要な知識経験を得ることを目的として行われたものではないから、旅行先で美術鑑賞をしたとしても、それによって、旅行費用が業務の遂行上必要な費用となるものではない。
二 なお、所得税基本通達三六-三〇は、レクリェーション行事に参加したことにより役員又は使用人が受けた経済的利益について、一定の要件の下に、法三六条一項の経済的利益と見ないとする取扱いを定めるものであって、使用人のレクリェーションのために使用者が支出した費用が使用者の事業所得の計算上必要経費に当たるか否かの基準を設けたものではないから、右の通達があるからといって必要経費の算定に当たり、「業務の遂行上必要なものであるか否か」という点を問題とすることなく、社会通念上一般的に行われていると認められる旅行のための費用であれば、当然に必要経費に該当するとの取扱いがされているとすることはできない(また、親子四人で行われた本件各旅行は、旅行先、参加者等からして、右通達にいう「使用人のレクリェーションのために社会通念上一般的に行われている旅行」には当たらない。)。
また、多数の従業員を有する者も、本件各旅行のように、事業者(夫)、青色事業専従者(妻)とその子のみでいわゆる家族旅行をした場合には、その費用は必要経費に当たらないことになるから、その点では、原告の場合と異なるところはない。そして、従業員の慰安のための旅行と本件各旅行のような家族旅行とは、業務上の必要性に基づくものか否かという点において差異があり、その差異による区別をもって不合理な差別ということはできないから、本件各更正をもって平等原則に反するとすることはできない。
さらに、法人税との関係でも本件各旅行と同様の家族旅行の費用が福利厚生費として損金に算入されるとすべき合理的理由はないから、法人の場合との比較により、本件各更正が平等原則に反するとすることもできない。
第四総括
以上判示したところによると、原告の請求はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岡久幸治 裁判官 後藤博 裁判官 入江猛)
別表
課税処分経緯表
<省略>
別紙1
1.慰安旅行に関する支出明細(昭和62年分)
<省略>
2.必要経費に計上する支出金額の計算
<省略>
別紙2
1.慰安旅行に関する支出明細(昭和63年分)
<省略>
2.必要経費に計上する支出金額の計算
<省略>
別紙3
1.慰安旅行に関する支出明細(平成元年分)
<省略>
2.必要経費に計上する支出金額の計算
<省略>